2012年5月27日日曜日

量り売りだと 凄い

土屋先生、ハブラシ指導

歯ブラシをコップの水で洗いながらブラッシングする”

コップに半分くらいの水を入れ
その中でブラシを洗いながらブラッシングする。

必ず時計で確認しながら
1日20分、2週間続ける。

・・・・

1日めは、コップの中の水は
剥がれた細菌やその産物、血液、膿などが混じり
自分の口から出たものとは思えないほど汚い。

しかし・・・

3日・・・5日・・・1週間・・・10日・・・・

2週間続けると

歯肉は引き締まり出血はほとんどなくなる。

大事な事は数字を明確に、時計を確認しながら・・・・

そして、2週間という制限でモチベーションを高める。

この2週間、1日20分のブラッシングから
様々なことを学ぶ。

2週間が経過して、その後どうするか・・・・
その学びが活かされる。

誰も、2週間たったからといって
ブラッシングをおろそかにして
以前のプラークがべったり付着した炎症のある状況には戻らない。

「すごく変わりました!!!」

そう言う彼は大きな仕事を人る成し遂げたように晴れやか。

「そうですね・・・もうご自分でお分かりですよね・・・」


判断基準が自分にある強い内的基準の彼・・・・

「出血するから歯磨きができない」

・・・・この一言を聞き逃してはならない。

”自分で判断する”ような体験をサポートするのが私の仕事。

その人に合った方法をその人に合った表現で伝える。





2012年5月22日火曜日

天野 先生


一流は違うね・・・さすがだ



Interviewee:
順天堂大学医学部心臓血管外科教授
天野篤 先生

日本大学医学部卒業。関東逓信病院(現NTT東日本病院)・亀田総合病院・新東京病院心臓血管外科部長・昭和大学横浜市北部病院循環器センター長兼教授を経て、2002年より順天堂大学医学部教授。冠動脈バイパス術のスペシャリスト。

 Interviewer:
医療法人社団めぐみ会 理事長 田村豊 先生
1956年生まれ。一般企業に勤務した後、岐阜大学医学部に入学。卒業後、三井記念病院等で臨床経験を積み、37歳で開業。現在首都圏に5つのクリニックを展開。

3浪しなかったらダメになっていたかも知れない

医師になられた理由やいきさつをお聞かせ下さい。

父親のおじが都内の有名小児科医師兼病院長で、小さい頃はよく腹の調子を悪くして、埼玉から母親に連れられ通院しました。院長室で待っている間、聴診器とかメスなどがおいてあるのを見て、医者という職業をその頃から意識していました。その後、高校のとき父親が心臓弁膜症で手術したんですが、そのときの先生が手術について優しく教えてくれたのを覚えています。
高校3年から将来何をしたいか明確に決められずに2浪まで漠然と過ごしましたが、3浪に突入して明確に医者になりたいと考えて、何とか日大医学部に合格することができました。進学してからは父親も病気になっており、卒業後は稼げるようにならなければという思いから、「早く一人前の医者になるぞ」という志が在学中にできました。間違って現役合格していたら、一直線に医者になるという強い信念は出来なかったかもしれないです。

学生実習で日大駿河台病院の循環器内科に配属された日に、いきなり先輩の当直に付き合わされて泊まりこんでいたら、その日に心筋梗塞の発作で亡くなった人がいました。怖いなと思いましたし、やはり治療に決定力がないと駄目だと思い知らされました。
当時、外科が華やかなイメージなのに対して、内科のイメージは地味で一生勉強という感じだったんですね。その頃、心臓外科は劇的に治療体系が進歩して安全性が高まり「これからの医療」と脚光を浴びていました。それに、父親も10年以内に再手術しないといけないと分かっていましたので、そこに携われる分野として最後は心臓外科を選びました。

2度目の手術で先輩より上手くなれると確信した


関東逓信病院(NTT東日本病院)でレジデントをした後、今でこそ研修医の人気上位ですがその頃は遠隔地として誰も行かなかった亀田総合病院に移りました。心臓バイパス手術の症例数が非常に多く、都内の有名病院から紹介されて患者さんが来ていました。僕はここで啓かれましたね。それまで2回しか見たことがなかったバイパス手術がこんなに簡単にできるのかと驚かされました。それからは寝る間も惜しんでいろいろな努力をしました。運良く2番手の先生が退職して執刀機会が増え、手術の腕も上がっているのが自分でもわかりました。
指導してくれていた部長は14歳年上でしたが、40台後半で今は当たり前の拡大鏡を使わないから手術のスピードもパフォーマンスも悪くなってきていました。手術では部長の方が難しい方をするから、簡単な手術は僕が受け持って、結果も僕の方が良かったりする。術中トラブルも僕の示す解決策が患者さんを救うなど。こちらも役に立ち、頼りにされていると過信していたんですね。その辺から、だんだん関係が悪くなってきて、最後はクビです。「きみといると精神的に安らかに手術が出来ないから、辞めてくれ」と言われましたね。確かに5年経ってテングになっていて、僕も手術中には言いたい放題でした。「そこはこうした方がいいと思います」とか「こういう論文が最近出ていましたよ」とか。そりゃ、遥か年下の一から教えた若造から言われていたら、怒りますよね(笑)。

僕は、手術のときには若い外科医に「自分がやった方が上手く出来そうに思う?」と聞くことにしています。かつて僕は部長の手術を見て、2回目には「自分の方が上手くできる」と確信を持ちました。手先を訓練して経験を積めば絶対に追い越せると。だから、自分も若い人にも同じような感覚を持った人がいないかどうかいつも探しているんです。

若い人に望むこと
若手がベテランと張り合えるのは勉強しかないです。とにかく知識を溜める。若い人はただ溜め込んだ知識の出し方を知らないだけなんです。僕の若い頃は新書を読み漁っていたけれど、今の若い人は本を読まないですね。
若い人は知識のバトルをもっとするといいです。例えば1例の手術に対して5人のドクターがそこにいれば、それぞれ手術の方法とか見解を述べ合って、5倍得られるはずです。この人はこう言った、あの人はああ言った、僕はこんな事に気づいた、という風に。これが僕の勉強方法でした。臨床で見たものは逃さないつもりでノートなんか取らないで、その場で頭に焼き付けてました。

大事なキィワードは「好きこそ物の上手なれ」

若い人はいろんな知識を蓄えて現場に活かすべきです。活かせないなら、キャリアアップして活かせるところを目指すことです。今の環境に押し潰されていてはその人の次はないですから。その為にはある程度リスクを賭けることになりますが、リスクを大きくしないためには人生設計をきちんとすることですね。何歳までにどこまで出来るようになっていたら続けるか辞めるかの判断や、いつ結婚し、いつ人の親となるかなどということもある程度は考えておいた方が良いと思います。

聞いた話ですが、医師と僧職と学校教師は社会人として同年代よりも未熟だそうです。先日、若い先生たちの自己紹介を聞いていたら、社会人なら出来るはずの自己紹介・アピールが全然出来なくて、怒鳴って注意したことがありました。みんなビビッてましたけど(笑)。でもかつて僕も出来なかったし、実習で名乗ることも出来なかったです。だからこそ同じ経験をさせたくないという思いがあって、あえて注意するようにしています。学生には優しく丁寧に接するようにと医学部長からも言われていますが、ひとりぐらい理不尽に厳しい人間がいてもいいかなと思っています。

ところで天野先生は、留学はされていなかったですか?

留学はしたかったですが、当時の亀田にはドクターがいなくて出来なかったです。その後結婚もし、手術も多くなり、タイミングを逸しました。それにやっぱり自分が手術した患者さんを置いて一定期間離れるなんてことはできないですよ。でも、他の先生が外国人の講演に英語で質問していると、かっこいいなと思いながらも引け目に感じていますけど。
やはり今の人は35歳くらいまでに英語を母国語とする国に2-3年留学した方がいいと思います。それに、コンピュータ・ワークですね。今はPCでOfficeを使いこなすことは当たり前だし、それを用いてプレゼンテーションするスキルは必要だと思います。

患者のために大事にしなければいけない2つのこと

新東京病院で一緒にやらせて頂いているときから、天野先生は仕事の仕方や目標があまりブレることがありませんね。

目標がないからブレられないんです。5年先には何をやっているかなんて分からないです。決まった道がないからブレることが出来ない。ただ、僕と同じことはしないほうがいいと周りには言っています。僕が大事にしているのは、正直に言うと第一は患者さんではないです。一番は「プライベート」、二番目に「仲間」を大切にするようにしています。そして次に「患者さん」です。こんなこと患者さんの前で言ったら怒られますけど。でもこういう考え方の人は多いです。だって仲間がいなかったら手術できないですから。患者さんを優先して仲間を大事にしなかったら、チームはバラバラです。ここを履き違えてはいけません。もしデートがあるなら、どうぞ行ってらっしゃいと言います。但し、計画的にあらかじめ周囲も知っていることが重要ですが・・・。
自分もそうですが、仲間のプライベートを尊重することが厳しい仕事環境にあっては大切な思いやりじゃありませんか?こういう考え方が今の医療現場にはあってもいいと僕は思います。自分と仲間のコンディションの両方を整えて、はじめて患者の為になることが出来る訳ですから。
非常に正直な本音ですね。


理想の医者にどうやったら成れるか、ということについて話しますが、やはり一気には行けません。階段の様になっていて、暫く足踏みをして頑張っていると、ある時に突然一段上がるものです。次に二段上がって、一段下がって、また二段上がる。そういう繰り返しだと思います。それを指導医か誰かが近くで見ていてくれて、教えてくれたり、アドバイスしてくれたり、評価してくれるとより良いと思います。

これまでの天野先生のお話しから、色んなヒントが得られそうですね。

あと、皆さんが実感を持たれていないと思うのですが、最近の医学部に入る若者は具体的な目標がないですね。勉強の成績が良かったから医学部にしたという感じで、7割ぐらいの人が理想を持っていないです。医者という生業のために命を捧げるぞという強い気持ちを持っている人は本当に少ない。そのためか、外科の成り手がいないです。内科に比べて外科はキツいというイメージを持たれていますからね。
入学試験には一定の学力は必要ですが、“卒業後は外科医を目指して10年は他の道には行きません”という誓約書を書いた奴は無条件で採るとか(笑)。そういう枠を1割ぐらい作ってもいんじゃないかと(笑)。
このままだと、だんだん指導力のある医者が高齢化していって、トキのように絶滅してしまうんじゃないかと思いますね。

僕もそういう危機を感じています。僕のクリニックの所にも、元々病院でやっていたスキルもやる気もある先生が集まっていて、それは有難いことだけれど、病院の診療を弱体化させているんじゃないかという思いがあります。近頃はもっと全体のバランスを考えていかなければいけないと思い始めています。先生のように一番難しいところを担っていらっしゃる方と、私のように町で患者と接する医者が、きれいに上手く連携していかないと、医療は上手くいかないと思っています。

臨床研修に地域医療があるけれど、それを学生にもっとPRして、本当のポジショニングや社会の中での必要性を知らしめることが大事なんじゃないでしょうか。医療は心臓外科だけがあっても成り立たないですからね。
よく学生に言っているんですが、39度の発熱した人が喉を腫らしてコンコンと咳していたら、診察しなくても98%風邪とみていい。けれど残りの2%に、白血病とか良く分からない病気があったりするでしょう。それをちゃんと知識として踏まえて診察をし、最終的に風邪とみて、その対処療法の治療をしたのなら、ヘルペス脳炎でもない限り、その晩に急変してアウトなんてことははまずないでしょう。でも大学ではそういうことは教えられないんです。内科系の教授だって全然知らないし、教科書も現実的でないことばかり書いてある。そういうことを生で教えてくれる医者、ばしっと頭に焼き付けて一生の知識にできるような医者を増やしていかなければならないと思います。だから、田村先生のフィールドも大事ですよ。

今日は久しぶりに先生とお会いできると、楽しみにして来たのですが、先生は昔のイメージ

残り